おいらも見た。あさま山荘事件 - Wikipedia: "あさま山荘事件または浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)とは、1972年2月19日に始まる、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が起こした事件である。2月28日に警察が浅間山荘に強行突入。死者3名(うち機動隊員2名、民間人1名)、重軽傷者27名(うち機動隊員26名、報道関係者1名)を出したが、人質は無事保護され、立てこもり犯5人は全員逮捕された。
突入の様子は、テレビで生中継され、その日の総世帯視聴率は調査開始以来最高の数値を記録し、人質救出の瞬間は民放、日本放送協会(NHK)を合わせて視聴率90%弱を記録した。同日のNHKの報道特別番組(9時40分から10時間40分に渡って放送)は、平均50.8%の視聴率(ビデオリサーチ・関東地区調べ)を記録した。これは2000年代に入った現在でも、報道特別番組の視聴率日本記録である。"
佐々淳行が例によって自慢している:
たしかに当時の警察庁長官後藤田正晴が付けた4条件(下)は厳しすぎた:
- 人質の無事救出(警備の最高目的)
- 犯人全員の生け捕り逮捕
- 身代わり人質の拒否
- 火器使用は警察庁許可(「犯人に向けて発砲しない」)
ニッポンは「犯人」を甘やかしすぎだ、FBIだったら機関銃持ってすぐ突入したことだろうと、あの時強く感じた。今でもそう。
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